2030年以降も生き残る組織とは? 誰もがテクノロジーでワクワクできる仕組みを

2030年以降も生き残る組織とは? 誰もがテクノロジーでワクワクできる仕組みを

テクノロジー的には「ワクワクできる未来」が待っている

長谷島:ここまで「IT人材、デジタル人材」をテーマに、企業・組織の今までの取り組みについてお話を伺ってきました。今回は、2030年以降の将来に向けて今後どう取り組んでいけばいいのかをお聞きしたいと思います。

亦賀:実は、テクノロジーの観点では「○○をしなければならない」という、“べき論”はなくなっています。心理的なプレッシャーよりも楽しめる機会が増えていて、どんどんより良い時代になっていると思います。今や宇宙ホテルに行けるような時代です。「苦行してまで変わらなきゃいけない」というのではなく、「もっと産業革命を楽しみましょう」と言いたいですね。

長谷島:ワクワクしますよね。

亦賀:はい。ワクワクが大事です。自虐的に「うちのIT部門はダメだ。石器時代だ」という人からすると、自社はできないと思い込んでしまうかもしれません。でも、実際には、エンジニアが頑張ったらすごいことが実現できる時代ですよ。だから、「自社も頑張ろう」と思ってほしいですね。

また、日本は分析をしたがる人が多いですよね。私は「ダメダメ論」と名付けていますが、「なぜ、日本はダメなんだ」と最初から捉えていて、とにかくダメな理由を洗い出そうとします。そして、自虐する理由を見つけて、「だから、うちはダメなんだ」と、自慢するように吹聴して終わるのです。

そういうことは脇に置いておきましょう。エンジニアにとって楽しい時代になりつつあります。人材が不足する時代なのは明らかですから、とにかく2023年から、今すぐにでも新しいマインドを持って、「New World」にどんどん行きましょう。それしかないですし、既に時間がだんだん足りなくなってきています。

2030年を迎えるまでもなく、もう実践モードに入っている企業も存在します。とにかく時間が足りません。組織の上層部が「どうするの?」と言っている余裕ないのです。ですから、私はクラウドのスキルであれば、「クラウドの認定資格をすぐ取りましょう」と提案しています。例えば、「ソフトウェア・デファインド・ビークル」(SDV:)を実現する基盤にハイパースケーラーが関係しているような状況ですから。

長谷島:仕事という側面もありますが、やはりこの進化する、変化するテクノロジーを楽しもうということですね。そういう楽しむところからビジネスへとつながるようなアイデアも出てくるでしょう。

亦賀:はい、その通りです。長谷島さんが以前おられたソニーも、外部からはカルチャーとして楽しい会社に見えますよね。組織内の人が苦行みたいになっていれば、外から見てもたぶんつまらない会社に映ると思います。結局、楽しくない人が作っているものは楽しくないでしょう。自動車を例にすると、新しい車を作って、皆をワクワクさせたいというのが伝わってきます。

長谷島:そうことを実現するためには、先端テクノロジーが必須の時代となるわけですね。言い方は難しいですが、企業がもっと軽快に楽しもうというアプローチを取れる風土を作るべきだと思います。そうした取り組みから、何か新しいものが生まれるように思うのですが。

亦賀:全く同感です。商売の基本という観点では、元々日本では、「良いものを作ってお客さんに喜んでもらいましょう」とするでしょう。ただし、それが企業ITになると、なぜか急に頭を抱えてしまうことばかりです。「もっと仕事を楽しもう」という考えがあってもいいと思います。

「こうしなければいけない」というお作法ばかりでは、だんだん窮屈になりますよね。給料が上がればいいですけど、実際にはなかなか上がらず、お作法も厳しく、仕事がきつくて帰れないなんて働き方は、絶対嫌になります。

今や最先端のテクノロジーには、山ほどワクワクできることがあります。自分たちがワクワクするだけではなく、それがお客さんのワクワクにつながっていきますよね。単なる自己満足だけではありません。それを実現できるか、できないかが、今後の勝負の大きな分かれ目になると思います。今後の組織にはワクワクが必須要件になるでしょう。

長谷島:確かに、サービスそのものにワクワクする要素がないと、これからの世の中に受け入れられることはないでしょうね。

亦賀:はい。人の行動や体験、所有がどんどんデジタルサービス化され、リアルもデジタル化されていくでしょう。例えば、店舗経営の小売りが挙げられます。企業内が旧態依然の江戸時代の体制だと、コラボレーションにねじれが起きたり、シームレスにサービスを提供したりできませんよね。

これからの小売りでは、アジャイルなサービス開発が必須ですが、組織自体もアップデートする必要があります。そのため、「デジタルワークプレイス」の整備という議論につながります。ワークプレイスをアップデートし、新しいクリエーターがサービスデリバリーを実現できるようにしなければ回らなくなってしまいますよ。

IT小売業:People-Centricなサービスファクトリー
IT小売業:People-Centricなサービスファクトリー

お客さんがサービスについてどう思っているかをフィードバックし、それに応じていくためには、自己満足的なマーケティングではなく、データサイエンティストによる予測、分析やフィードバック、さらにオブザーバビリティー(可観測性)のような発想が必要になります。

スマートなビジネスプロセスの構成が形作られつつあり、そうした「サービスファクトリー」の循環を回す習慣を身に付け、デジタルサービスによるデジタル時代のビジネスを展開するという流れが基本になると思います。今後は、こうしたことを楽しめる人たちが大活躍できる時代になります。エンジニアのように、ITに取り組んでいる人たちはもっと楽しめるようになるでしょうね。

日本にはびこる「業務中心主義」

長谷島:テクノロジーの進化が江戸から明治のような非連続な大転換を演出していると感じます。また、そういう非連続な変化点が、今までよりもかなり短いサイクルでやって来る。なぜならば、テクノロジーの進化のスピードが加速しているから。であれば、そうした急激な変化に慣れないといけませんね。

亦賀:「New World」という急激な変化は、決してITだけではありません。仮に10年前の人が今の状況を見たら、ものすごく驚くほどの変化が起きています。それは良い面、悪い面も含めて、さまざまな変化なのです。その中で生き残るためには、どうすればいいのでしょうか。幸いにもテクノロジーを中心に仕事をしている人は、本当にラッキーだと思います。変化の中心に、確実にテクノロジーが関わってきます。

長谷島:この変化は“テクノロジードリブン”で起こるということですね。

業務中心型からテクノロジ・データ駆動型ビジネスへ
業務中心型からテクノロジ・データ駆動型ビジネスへ

亦賀:その通りです。外部環境の変化や地球温暖化、自然災害などさまざまな変化の要因が考えられます。全ての変化にテクノロジーが関わっているわけではありませんが、それこそ現在の国際的な紛争や戦争はテクノロジーを当たり前のように使った「情報戦」です。「ディープフェイク」も含めてテクノロジーによる大戦争が行われています。当然ながら、ビジネスにおける競争もまた、テクノロジーの大競争になるわけです。

そんな状況の中で、「私たち(自社)はテクノロジーが苦手」などと言っている場合ではありません。最初から白旗を上げているようなものです。そういうマインドで日本人が負けてしまいます。

何十年も前から当たり前のように、ビジネスはテクノロジーを使う競争になっています。それにもかかわらず、多くの日本企業が「業務中心主義」というカルチャーを継続しています。この業務という言葉自体、伝統的な官公庁のカルチャーをまねているものと思っています。よく“お役所仕事”とやゆされてきましたが、そうした不変ではあるが、時に、面倒でやっかいな仕事を、ずっと「業務は変えてはならぬ」といって維持し続けることが、日本の生産性の低下を招いているわけですし、このままでは誰もハッピーになりません。よって、こうした、旧態依然の業務は、全て見直し、不要な業務は断捨離していくべきです。

経済産業省が提唱した最初の「2025年の崖」の話は、レガシー問題への関心を呼んだということでは良かったと思います。しかし、当初「レガシーなシステムがビジネス変化の足かせになる」と言っていましたが、実際は「レガシーな業務が足かせになる」が正しいと考えています。最近は、その主張が少し軌道修正されていますが、そこにメスを入れなければ(DXは)成功しません。

早晩、業務中心主義で機能しているような組織は成り立たなくなるでしょう。業務を起点にするのではなく、テクノロジーを中心にする必要があります。ただ、テクノロジーを中心にし過ぎると、今度は「それで誰の何が良くなるのか?」という話に陥りますから、忘れてはいけないのが「People-Centric(人中心)」の発想です。

ここでいう「People」とは、ユーザーだけでなく、それをサービスとしてクリエイトする人たち、アーキテクト、エンジニアも含まれます。これから、そういった人々が活躍できる時代が訪れるでしょう。業務システム視点の話ではなく、もっと大きなスケールの話になるでしょう。

もっと心理的なハードルを下げ、「とにかく使ってみよう」というところから始め、そこから可能性を広げて、“F1レーサー”のような、テクノロジーを高度に駆使できる人材も出てくると思います。世界的な野球の大会でも優勝したように、日本人ができないなどということはありません。どの国の人でもよい時代です。よって、日本人でもよいわけです。できるか、できないかをいつまでも議論しているよりも、やることを前提に行動することが重要です。

長谷島氏(左)と亦賀氏。近視眼的に陥ることなく、「人中心」にテクノロジーの可能性を楽しむべきと提言する
長谷島氏(左)と亦賀氏。近視眼的に陥ることなく、「人中心」にテクノロジーの可能性を楽しむべきと提言する

「不確実な時代」という表現は大嫌い

長谷島:これからもテクノロジーは絶え間なく進化していくことが想定されますが、それを戦略的に生かしていくには、10年先、15年先のビジネスの在り様について「ここに到達したい」というビジョンを持つことが重要です。ビジョンがなければ、やっていることが常に目先の問題への対症療法の繰り返しになってしまうのではないかと思います。その結果、本当に行きたい場所に向かっているのか分からなくなってしまいます。

まずは、「10年先、15年先にこうありたい」というビジョンを想定することから始めたいですね。

亦賀:「鶏が先か卵が先か」という話ですよ。この対談で「勉強しないから、理解できない」というリーダーの話(前回記事を参照)をしましたが、「どうすべきか?」と問われても、「分からない」と言い続けるのです。

長谷島:そこで皆を納得させる言葉に、「不確実性の時代」があるのでしょうね。でも、それは、とてもずるいですよね。

亦賀:本来議論すべきは、「不確実性の時代だから分からなくて仕方ない」ではなくて、「だからこそ、未来を自分で決めることが大事」ということでしょう。

長谷島:手前みそになりますが、ガートナーの「テクノロジーの将来予測」は、かなり高い確率で当ります。もちろん、予測できない地政学的リスクや経済の問題などはありますが、将来に大きな影響を与えるテクノロジーが予測可能であれば、「不確実の時代」と言って、自分で決めることから逃げてはいけないと思います。だから私は、思考停止にもなりかねない「不確実の時代」という言葉を安易に使うのが大嫌いです。

亦賀:この“現象”は多くで起こっているように見えます。例えば、最近、海外のテックジャイアント(大手IT企業)の大量退職などがニュースで取り沙汰されました。そういう報道があると、「GoogleやAmazonだってダメじゃないか」と安心する人がいます。

だから「不確実な時代」と言って安心しているうちに、また置いてきぼりにされるようなことになります。こうやって安易な楽観を繰り返しているうちに、どんどん世界の先進とのギャップが拡大しますし、実際にそうなってきました。このままいくと、10年以内にそのギャップはさらに広がり、対応しようにも対応できなくなり衰退、破綻します。だから非常にまずいのです。

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