エントリーシートはChatGPTで書けるから、企業も学生ももうやめにしよう

  • 2023.09.07
  • AI
エントリーシートはChatGPTで書けるから、企業も学生ももうやめにしよう

企業は対処しようがないChatGPT活用
不公平な選抜方式を助長

大学生らの就職活動で、学生がエントリーシートの記入にChatGPTを使うケースが増えている。少し前から、どうやってChatGPTを使ってエントリーシートを書くかという“指南書”がウエブに溢れていた。

企業が学生のChatGPT使用にどう対応したかが報道されていないので、はっきりしたことは分からないのだが、禁止した事例はなかったようだ。仮に禁止したとしても、見破るのは難しいから、実際には多くの学生が使った可能性がある。

ChatGPTを使えば、使わない場合に比べて優れたエントリーシートを書くことができるだろう。だから不公平になる。では、どうしたら良いのか?

私は、この機会にエントリーシートそのものを廃止すべきだと思う。エントリーシートはこれまでも問題を抱えていた。

いまのエントリーシートは、膨大な数の潜在的応募者を試験場に集めて書かせるのはもともと無理なので、実際の試験や面接などに進む学生を選ぶ足切りに使われているのが実態だ。

学生は親や家庭教師が手伝っていた場合があったはずだ。それをチェックすることは難しかった。その意味で、これまでも不公平な選抜方式だった。また、助力を受ける可能性が認識されていたので、採用側がこれをどの程度重視していたかも疑問だ。

ChatGPTの利用でますますこうした点が助長される。

シートに書かせる内容自体に問題
「ガクチカ」が日本を滅ぼす

そもそもエントリーシートの最も大きな問題は、応募する学生に書かせる内容自体だ。志望動機や性格、価値観などを書いて、自己PRをする。とりわけ重視されるのが、「ガクチカ」だ。これは、「学生時代に力を入れたこと」を指す。

企業側はこれを見て、「社風に合っている人物か」「これから能力を発揮できる人物か」などを判断するというのだ。

しかし、ガクチカでやる気を判定するなど、全くのナンセンスだと思う。私の考えでは、「学生時代に最も力を入れたこと」に対する答えは、1にも2にも3にも、「勉強」でしかあり得ないからだ。

大学は専門的な知識を学ぶための場であり、スポーツ選手の合宿所でもないし、ボランティアの紹介センターでもない。社交場でもないしレジャーランドでもない。

もちろん、スポーツもボランティア活動も重要だ。しかしそれらは、勉強し読書をした後で、時間が余れば行うことだ。勉強はどうでもよくて、これらだけをやるというのでは本末転倒以外の何物でもない。

学校の成績などどうでもよいというのでは困る。これでは教育機関は存在意義を否定されたようなものだ。ガクチカがもてはやされる風潮にこれまでよく教育機関は抗議の声を上げなかったものだ。

エントリーシートは意味がないと誰も思いながら、惰性で続けられてきたのではないだろうか?

なお、エントリーシートはわれわれの世代の時代にはなかったものだ。それでも、採用活動は支障なく行われていた。エントリーシートは、ソニーが1991年に導入したものだとされる。

企業は「足切り」が必要なら
専門科目などの成績を基準に

企業が採用に当たって足切りが必要であれば、専門科目でどの程度の知識を持っているかを基準にすべきだ。それは大学の成績で評価されているはずだ。

企業はエントリーシートでガクチカを聞くのでなく、成績を聞けばよい。そうすれば、現在の制度よりずっと公平な判断ができるはずだ。エントリー段階で成績証明書を取るのが難しければ、学生に自己申告させればよい。いずれ後になって分かるから、虚偽申告はしないはずだ。

 そうであるにもかかわらず、企業が足切りのためにガクチカを提出させ、その半面で学校の成績を聞こうとしないのはなぜだろうか?

日本の大学の成績評価は甘い
大学に入ったら勉強しない学生

最終的な採用・不採用の判定では、日本の企業は大学の成績をある程度は考慮するようだが、それでも成績に応じて専門家としての能力を判定し、給与を変えたり、職務内容を変えたりするといったことはしていない。

企業が大学の成績を重視しないのは、企業側の責任だけではない。重視されない大きな原因が大学側にもあることは間違いない。日本の大学は甘い成績評価しかしていない。だから企業は大学の成績判定を重視しないのだ。

教育機関の役割は教えることだけではない。学習結果や能力をテストし、評価するのは教育機関がもともと果たすべき重要な役割だ。日本の教育機関も入学時の選抜ではこの機能を果たしている。しかし、問題は入学後の成績評価が厳格に行なわれていないことだ。

日本では、大学は入学できたら卒業できるところだと考えられている。成績不良で進学させなかったり卒業させなかったりするのは、酷なことだと考えられている。単位が足りなくて卒業要件を満たせない場合、「就職は決まっているのだから、何とかしてほしい」などという、本末転倒の要求が罷り通る。

このため、学生にとっては、入学することだけが重要になり、大学に入ったら勉強しない。そして勉強ではなく、「ガクチカ」に力をいれる。「大学に入ってから死に物狂いで勉強した」などと言えば、よほどの変わり者と思われるだろう。このため専門的な知識が身に付かない。

日本企業のOJTもはや機能しない
米経済支える「勉強・学歴社会」

企業は大学卒業者に専門的な能力を期待せず、必要な技能をOJT(職場での仕事を通じて、業務に必要な知識や技能を身につけさせる方式)で教える。OJT方式は、1960年代、70年代頃には機能した。しかし、技術が急速に発達する現代では通用しなくなっている。

日本経済が停滞している基本的な原因は、高等教育機関の卒業者が十分な専門的な能力を持たないことだ。

これはさまざまな国際比較ランキングにはっきりと表れている。日本人の能力は、初等中等教育の段階では世界的にトップクラスだ。しかし、企業における人的能力になると、世界で最低に近いランキングなってしまうのだ。

日本の状況はアメリカと比べると違いが大きく際立つ。アメリカの大学や大学院では、成績が悪ければ、留年どころか、キックアウトされる(退学させられる)。だから、学生は死に物狂いで勉強する。企業も大学や大学院での成績を重視し、それによって、採用・不採用だけでなく、職務内容や俸給を決める。

そして、このような人材が新しい技術や新しいビジネスモデルを生み出し、アメリカ経済を発展させてきた。これはアメリカに限ったことではなく、多くの先進国に共通することだ。

ChatGPT時代になりつつあるのを機にまずはエントリーシートをやめ、企業の採用や人材登用、高等教育機関のあり方、そして専門家のあり方を根本から見直すべきだ。

(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)

Diamond Online より

AIカテゴリの最新記事